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御所参内聚楽第行幸図屏風 学術調査委員会が成果を報告


 2008年に上越市内で発見され、全国的に注目を集めた「御所参内・聚楽第行幸図屏風」の学術調査報告が23日、同市下門前の教育プラザで行われた。昨年7月から調査研究を進めてきた同屏風学術調査委員会(川村知行委員長=上越教育大学大学院教授)は制作年代を江戸時代に当たる17世紀の中ごろとする見解をまとめた。
 公開当初は「天正後期(16世紀後期)までさかのぼる可能性もある」との見方もあったが、川村委員長は「描かれているのは天正16年(1588年)の様子だが、17世紀にならないと出てこない表現が多く、屏風を描いたのは17世紀中ごろ」と述べた。
 豊臣秀吉が政庁兼邸宅として造営した聚楽第に後陽成天皇が行幸する様子を描いた左右2枚からなる六曲一双の屏風で、右隻には聚楽第に向かう後陽成天皇の乗る鳳輦が、左隻には聚楽第から天皇を迎えに出立する秀吉の行列が描かれている。
 川村委員長は、天皇と秀吉が対になる構図は、秀吉を賞賛する意図があり、豊臣政権時代に作られたと考えられるが、16世紀にはない17世紀の技法がみられることから、豊臣政権時代に原本があり、それを後世に移したものではないかと推測。また、原本は豊臣家の御用絵師であった狩野派の作である可能性もあるとしている。
 同屏風よりも前に聚楽第行幸を描いたと考えられる他の屏風と比較して、聚楽第や鳳輦の形状が異なることも、行幸から時間が経ち、当時の光景が忘れられた時に描かれたと解釈できる。
 17世紀中ごろは江戸時代で、豊臣家関連の文化が禁制だったとの考えもあるが、幕府が江戸に移る一方、依然として文化の中心地は関西で、秀吉を賞賛する同時代の作品も見つかっていることから「秀吉を追慕するものだとしても不思議ではない。出回っていたからこそ、禁令が出る」と話した。
 同屏風は27日から12月9日まで上越市立総合博物館で再び公開される。また、27日の午後2時30分から調査検討成果を市民に発表するシンポジウムがリージョンプラザ上越で行われる。参加募集は終了しているが、座席に余裕があるので、参加希望は同館(524・3120)まで。
写真=御所参内・聚楽第行幸図屏風(左隻)